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名古屋地方裁判所 平成2年(ワ)1931号 判決

原告

臼澤キミ

被告

柴山幸代

主文

一  被告は原告に対し、金八六七万八四三六円及びこれに対する昭和六二年六月二六日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。

四  この判決は原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、一五六九万一二六四円及びこれに対する昭和六二年六月二六日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和六二年六月二六日午前一〇時三〇分頃

(二) 場所 名古屋市北区上飯田西町二丁目二一番地先交差点

(三) 加害車 普通乗用自動車名古屋七八は二二六三

右運転者 被告

(四) 被害車 自転車

右運転者 原告

(五) 態様 前記交差点内で、被告の前方不注意により加害車が被害車の右側面に衝突

2  責任原因

被告は加害車を自己の運行の用に供していたものであるから自賠法三条に基づく責任を負う。

3  損害

(一) 原告は、本件事故により左大腿骨頸部骨折の傷害を負い、次のとおり治療を受けたが、自賠法施行令二条別表八級七号に該当する左股関節可動制限、左下肢軽度短縮の後遺症が残つた。

(1) 入院 昭和六二年六月二六日から同年九月二三日まで(九〇日間)

(2) 通院 同年九月二四日から平成元年六月二二日まで(実日数三七日間)

(二) 右受傷による損害は次のとおりである。

(1) 治療費 二七八万一九八〇円

(2) 付添看護料 一二万円

(3) 入院雑費 九万円

(4) 通院交通費 五万九七二〇円

(5) 休業損害 三〇八万四八〇六円

原告は、本件事故当時六一歳の専業主婦であつたから、その休業損害は、昭和六二年賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計の六〇歳ないし六四歳の女子労働者の平均年間給与額二五八万一六〇〇円による一日当たりの金額七〇七二円の六割相当額に基づいて算定するのが適切であり、右はこれに本件事故発生から症状固定日までの期間七二七日を乗じた金額である。

(6) 入通院慰謝料 一四〇万円

(7) 後遺症慰謝料 七四〇万円

(8) 後遺症による逸失利益 九五九万〇二八六円

昭和六三年賃金センサスの前記平均年間給与額二六二万九一〇〇円を基礎として、労働能力喪失率四五パーセント、労働能力喪失期間として六三歳女性の平均余命二〇・六三年の二分の一の一〇年三ケ月に相当する新ホフマン係数八・一〇六一を乗じた金額である。

(9) 診断書等作成費 二八〇〇円

(10) 弁護士費用 一五〇万円

4  損害填補 一〇三三万八三二八円

5  よつて原告は被告に対し、本件事故に基づく損害賠償として一五六九万一二六四円及びこれに対する本件事故の日である昭和六二年六月二六日から支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の各事実は認める。

2(一)  同3(一)の事実は認める。

(二)  同3(二)の事実中治療費及び診断書等作成費は認め、その余は不知ないし争う。

原告の休業損害は、入院中は一〇割、退院後は二割程度の労働能力の喪失があつたものと評価して算定するのが相当である。

また後遺症による逸失利益も、同年齢の女子労働者の平均賃金の五ないし七割を基礎とし、労働能力喪失率を一四パーセント程度として計算すべきである。

3  同4の事実は認める。

三  抗弁

1  過失相殺

原告は、自転車に乗車して交差点に進入する際右方向の安全確認を怠つて本件事故に遭遇したものであり、少なくとも二割の過失相殺がなされるべきである。

2  身体的素因による割合的認定

原告は、本件事故当時骨萎縮グレードがSinghの分類のⅢないしⅣ型で骨粗鬆症に罹感していたものであるが、一般に骨粗鬆症の患者は、軽微な外力により容易に同骨折に至るものであり、またその治療においても人工骨頭置換術を選択せざるを得ない場合が多い。

本件事故は、時速約五キロメートルで走行中の普通乗用自動車と「普通の速度」で走行中の自転車との出会頭の衝突事故で、原告は衝突地点から僅か一・八メートルの地点に転倒したものであり、衝撃の程度は極めて軽微なものであつたことが窺われるが、にもかかわらず原告が左大腿骨頸部骨折の重傷を負い、人工骨頭置換術を選択せざるを得なくなつたのは、前記のような原告の身体的素因によるものである。

したがつて、損害の公平な分担の観点から賠償額の三割を減額するのが相当である。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実中、原告が右方向の安全確認をしなかつたことは否認する。原告には賠償額を減額さるべきほどの注意義務違反はなかつた。

2  同2の事実中、原告が骨粗鬆症に罹感していたこと、本件事故の衝撃が極めて軽微なものであつたこと、原告が左大腿骨頸部骨折の傷害を負い人工骨頭置換術が選択されたのがその身体的素因によるものであることはいずれも否認する。

また仮に原告が骨粗鬆症の素因を有していたとしても、右素因は原告と同年代の女性にとつて一般的なものであり、このような一般的な素因に基づいて賠償額を減額することは損害の公平な分担という観点からも相当なものとはいえない。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  事故の発生及び責任

請求原因1及び2の各事実は当事者間に争いがないから、被告は自賠法三条に基づき原告が本件事故により被つた損害を賠償すべき義務がある。

二  過失相殺

右争いのない事実、原本の存在及び成立に争いのない甲第二、第三、第五ないし第七、第九号証によれば、〈1〉本件事故の現場は、北側に幅員約二・九メートルの自転車通行可能な歩道が並行し、センターラインのある幅員約九・〇メートルの車道と、歩道・センターラインのない幅員約三・七メートルの車道とが直交する信号機のない交差点の北側入口付近であり、〈2〉被告は、昭和六二年六月二六日午前一〇時三〇分ころ加害車を運転し、右狭路を南進し本件交差点を左折しようとして本件交差点の手前で一旦停止したものの、左方交差点入口付近にはブロツク塀があり同方向の見通しが悪いにもかかわらず安全を充分確認することなく自車を発進させ、時速約五キロメートルで走行中に前方を左方向から横断進行してくる被害車を認め、急ブレーキをかけたが、なお約一・五メートル進行して自車左前部を被害車右側部に衝突させたものであり、〈3〉一方原告は、被害車を運転して右歩道を時速約一〇キロメートルで走行し、やはり右ブロツク塀により右方向の見通しが悪いにもかかわらず安全を充分確認することなくそのまま本件交差点を通過しようとして加害車と衝突し、左側に押し出され衝突地点から約二メートル離れた地点に被害車ともども転倒したものであることが認められ、原告本人尋問中の右認定に反する部分は前掲各証拠に照らし直ちに措信できず、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

右事実によれば、本件事故の発生については、見通しの悪い交差点に進入する際に充分安全確認をしなかつた点で原告にも過失があり、その割合は少なくとも一割を下らないものと認めるのが相当である。

三  損害

1  請求原因3(一)の事実は当事者間に争いがない。

2  治療の経過

右争いのない事実、原本の存在及び成立に争いのない甲第一号証、成立に争いのない乙第二号証の一、二、第三号証の一、二、第四ないし第六号証によれば、〈1〉原告は、本件事故の結果左大腿骨頸部内側骨折の傷害を負い、昭和六二年六月二六日から同年九月二三日まで九〇日間名古屋市立城北病院に入院し、その間人工骨頭置換術の手術を受け、その後同年九月二四日から平成元年六月二二日までの六三八日間(実日数三七日)同病院で通院治療を受け、同日症状固定した、〈2〉本件事故当時の原告の大腿骨頸部には、Singhの分類のⅢないしⅣ型のグレードの骨萎縮があり、骨粗鬆症に罹感していたかないしは同症と正常な状態との境界領域にあつた、〈3〉一方原告の前記骨折の形態は、Gardenの分類のⅣ型で、骨接合術を実施しても大腿骨頭の血行不良等から骨癒合が不完全になるおそれがあり、この観点から人工骨頭置換術が選択された、以上の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

3  そこで個々の損害額について検討する。

(一)  治療費 二七八万一九八〇円

当事者間に争いがない。

(二)  付添看護料 認められない。

原告本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第一一号証には、入院期間中付添いが必要であつた旨の部分があるが、かえつて同号証の他の部分から入院先の名古屋市立城北病院が完全看護の体制にあつたことが認められるから、治療費とは別個に付添看護料の必要性を認めることはできない。

(三)  入院雑費 九万円

入院日数九〇日に対し一日当たり一〇〇〇円が相当と認められる。

(四)  通院交通費 二万五一六〇円

通院実日数三七日に対し公共交通機関の利用料金として一日当たり六八〇円が相当と認められる。

(五)  休業損害 二八九万二八〇六円

前示認定の治療経過、前掲甲第一号証、乙第二号証の一、二及び原告本人尋問の結果(前示採用できない部分を除く)によれば、原告は、大正一五年一月二五日生まれ(本件事故当時六一歳)で夫と二人暮らしの専業主婦であつたが、前示入院期間中(九〇日間)家事をすることができず、退院後症状固定時までの通院期間中(六三八日間)歩行には杖を使用し、そのほか左股から大腿部にかけての疼痛・股関節の可動域制限等のため長時間歩行すると足が痛む、階段の昇降がつらい、重い物を持てないなどの点で家事に支障があつたことが認められる。

右の事情を考慮すると、原告の休業損害算定のための基礎金額は、入院期間中は昭和六二年賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計の六〇歳ないし六四歳の女子労働者の平均年間給与額の一〇割、通院期間中はその五割と推認するのが相当である。

そうするとその間の休業損害は次のとおり二八八万九二六九円となる。

2,581,600×(1.0×90÷365+0.5×638÷365)=2,892,806

(六) 入通院慰謝料 一四〇万円

本件事故による傷害の部位・程度、治療経過及び入通院期間等を考慮すると入通院慰謝料としては一四〇万円が相当である。

(七) 後遺症による逸失利益 七一五万九二一五円

前示争いのない事実及び原告本人尋問の結果(前示採用できない部分を除く)によれば、原告は平成元年六月二二日症状固定し、当時六三歳で、本件事故により自賠法施行令二条別表八級七号に該当する左関節可動制限、左下肢軽度短縮の後遺症が残り、一〇ないし一五分以上歩行すると足が痛む、階段の昇降がつらい、重い物を持てないなどの現状にあることが認められるから、その逸失利益は、症状固定時である平成元年賃金センサスの第一巻第一表産業計・企業規模別・学歴計の六〇歳ないし六四歳の女子労働者の平均年間給与額二七〇万八三〇〇円を基礎とし、労働能力喪失率四五パーセントで計算すべきところ、労働能力喪失期間については、前示認定の原告の大腿骨頸部の骨萎縮の状態及び昭和六三年簡易生命表による六三歳女性の平均余命が二一・二五年であることも考慮して、これを症状固定後七年間として算定するのが相当である。右期間に対応する新ホフマン係数は五・八七四三であるから、後遺症による逸失利益額は次のとおり七一五万九二一五円となる。

2,708,300×0.45×5.8743=7,159,215

(八) 後遺症慰謝料 六〇〇万円

前示の後遺症の等級・内容、事故態様、その他本件において認められる諸般の事情を考慮すると原告の後遺症による慰謝料としては六〇〇万円をもつて相当と認める。

(九) 診断書等作成費 二八〇〇円

当事者間に争いがない。

(一〇) 過失相殺及び損害の填補

以上の合計は二〇三五万一九六一円となるところ、前示のとおり原告の過失を斟酌してその一割を減額すると一八三一万六七六四円となり、これから原告が損害の填補として支払を受けたことに争いのない合計一〇三三万八三二八円を控除すると損害の合計は七九七万八四三六円となる。

(一一) 弁護士費用 七〇万円

本件訴訟の審理の経過、認容額その他の事情によると被告に支払を命ずべき弁護士費用は七〇万円をもつて相当とする。

(一二) 以上合計 八六七万八四三六円

4  被告は、右損害の発生・拡大に原告の骨粗鬆症の素因が寄与していたから損害額の三割を減額すべきであると主張するので、この点について検討する。

(一)  本件事故の態様は前示認定のとおりであり、加害車は時速約五キロメートルから減速中に被害者右側部に衝突し、一方時速約一〇キロメートルで進行中だつた被害車はこの衝突により左側に押し出され、乗車していた原告ともども衝突地点から約二メートルの地点に転倒したものである。

原本の存在及び成立に争いのない甲第四号証によれば、被害車には右ペダルに凹損がみられるほかに事故による高度の損傷は見受けられない。

(二)  また治療の経過は前示認定のとおりであり、本件事故当時の原告の大腿骨頸部の骨萎縮の状況は、骨粗鬆症に罹感していたかないしは同症と正常な状態との境界領域にあり、一方本件骨折に対し人工骨頭置換術が選択されたのは、もつぱら骨折の形態上骨接合術では良好な骨癒合得られないおそれがあつたためであることが認められる。

(三)  他方本件事故前に、原告が骨粗鬆症等のため骨折その他で日常生活に支障をきたしていたことを示す証拠はない。

(四)  以上の事故態様及び治療の経過に照らすと、本件のような比較的低速での衝突事故にもかかわらず、原告に左大腿骨頸部骨折という重大な結果が発生した点については、これを明確に骨粗鬆症と断定できるかは別として、前記大腿骨頸部の骨萎縮の状態も一つの要因となつていたことが推認され、この推認を覆すに足りる証拠はない。

(五)  しかしながら、本件のように交通事故による外力等がそれまで顕在化していなかつた被害者のいわば潜在的な身体的素因に作用して通常発生すべき程度、範囲を越えた損害が発生した場合、右素因の寄与を理由に一律に賠償額を減額することは、事故がなかつたならばそのような拡大した損害を被ることがなかつたであろう被害者の立場とそのような事故の発生に責任ある加害者の立場とを比較考量すると損害の公平な分担の観点からして妥当な結論でないといわなければならない。被害者の潜在的な身体的素因を理由に賠償額を一律に減額ができるのは、その素因が相当高度のものであつて、事故による外力の作用を待つまでもなく日常生活で通常経験する程度の出来事を契機として発現し得た状態にあり、事故による外力の作用は結果発生の単なる引き金にすぎないと評価できるような場合に限定するのが相当である。

本件では、〈1〉原告は、本件事故で衝突地点から約二メートル離れた路上に転倒させられており、衝突及び転倒の際に受けた衝撃は日常生活において通常経験するつまずきや転倒によるそれと直ちに同一視することができない程度のものであり、〈2〉原告の大腿骨頸部の骨萎縮のグレードもSinghの分類のⅢないしⅣ型であり、前示のとおり必ずしも骨粗鬆症との確定診断に至るほど高度なものではないことなどの事情に照らすと、本件において骨萎縮状態の寄与を理由に損害額を一律に減額することは相当ではなく、この点に関する被告の主張は採用することができないといわなければならない。

四  結論

以上のとおりであるから、原告の本訴請求は、被告に対し八六七万八四三六円及びこれに対する本件事故の日である昭和六二年六月二六日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 夏目明徳)

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